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『男女共同参画社会の現況』 (神政連レポート『意』160号掲載記事)
平成十七年に文科省と自民党がそれぞれ行った、教育現場における行き過ぎた性教育や不適切なジェンダーフリー教育についての全国的な実例調査により、驚くべき実態が明らかになりました。男女同室の着替えや宿泊など、既に新聞報道されていたものもありましたが、その事例は多く、男女平等に名を借りた異常な教育が教育現場に蔓延しつつあることを、改めて国民が知ることとなりました。
この事態を受け、政府は平成十七年十二月に決定した「男女共同参画基本計画(第二次)」において、国民に広く周知徹底すべき点として
「『ジェンダー・フリー』という用語を使用して、性差を否定したり、男 らしさ、女らしさや男女の区別をなくして人間の中性化を目指すこと、また、家族やひな祭り等の伝統文化を否定することは、国民が求める男女共同参画社会とは異なる。例えば、児童生徒の発達段階を踏まえない行き過ぎた性教育、男女同室着替え、男女同室宿泊、男女混合騎馬戦等の事例は極めて非常識である。また、公共の施設におけるトイレの男女別色表示を同色にすることは、男女共同参画の趣旨から導き出されるものではない」
と盛り込みました。例として示されて事態については、以前より神道政治連盟が本来の男女共同参画の趣旨とかけ離れたものであるとし、指摘してきたものであり、ようやく政府も事態の重大性に気付いたと言えます。
政府が具体的な事例を取り上げたことにより、地方行政においても変化が見られました。福井県の生活学習センターでは、ジェンダーフリーを推奨する過激な書籍など約一五〇冊が書架より撤去され、さらに、宮崎県都城市においては、平成十五年に制定した男女共同参画条例が修正され、同性愛者・両性愛者の保護を認めるかのような条項は削除されました。この動きは他の自治体にも波及しており、今後も政府の策定した「男女共同参画基本計画(第二次)」に基づいた適正化が望まれるところです。
平成十一年に男女共同参画社会基本法が制定されてより、男女共同参画とジェンダーフリーを混同させ、誤った方向へ導こうとするフェミニズム論者の活動が表面化しましたが、男女の人権が尊重され、かつ、社会経済情勢の変化に対応できる豊かで活力ある社会を実現するという本来の男女共同参画社会の在り方を模索すべく声を上げた多くの国民により、ようやく是正の方向性が定まりつつあると言えるでしょう。
Q、そもそもジェンダーフリーとは何ですか?
A、ジェンダーフリーとは、女性の権利拡張を主張する人々(フェミニスト)
によって使われだした和製英語で、日本でしか通用しない言葉です。ジェン
ダーとは、「社会的、文化的に形成された性別」を表し、これにフリーがつ
いて「ジェンダーからの解放」という意味になります。具体的には、赤ちゃ
んを産めるかどうか以外は男女に性差はなく、それ以外の性差(男らしさや
女らしさ)は所詮、社会的、文化的に作られたもの(ジェンダー)に過ぎな
いのだから、真の男女平等社会を築くために、そうしたジェンダーを解消し
ましょうという主張です。
ジェンダーの研究は昭和40年代半ばから始まり、女性の社会進出に伴っ
て盛んになってきましたが、そもそもジェンダーの研究自体が研究者自身の
固定観念に基づいた「男らしさ」、「女らしさ」の反例探しに他なりません
から、ジェンダーフリーの主張も所詮、そうした人たちの思い込みに過ぎま
せん。要は、男女共同参画社会という新しい時代の到来を口実にしながら、
自分たちに都合のいい社会を実現するために、ジェンダーフリーという新た
な固定観念を押し付けようとしているだけなのです。
Q、ジェンダーフリー論者が言うように、生まれたばかりの赤ちゃんには男
らしさや女らしさが備わっていないのですか?
A、ジェンダーフリーがそもそも、フランスの空想的社会学者・フーリエが
空想したものですから、ジェンダーフリーの主張に科学的な根拠を求めよう
とすること自体、どだい無理な話です。
生まれながらにして赤ちゃんに男らしさや女らしさが備わっていることは
脳科学の世界では常識で、脳には構造的、機能的な性差があり、アンドロゲ
ンというホルモンの影響を受けることで、生まれながらに男女に行動的な性
差が生じることが明らかになっています。つまり、生まれてくる赤ちゃんの
脳は真っ白ではなく、男の子は薄いブルー、女の子は薄いピンクの色分けが
されていて、生まれつき男の子は「男らしく」、女の子は「女らしく」育つ
ように方向付けられているわけです。
ですから、生まれながらの性差までも否定するジェンダーフリー教育が子
どもの成長にとって良いはずはなく、この頃の男の子の女性化現象や女の子
の乱暴な言葉遣いなども、ジェンダーフリー教育の弊害と見るべきでしょう。
Q、科学的に男らしさ、女らしさが実証されているのに、なぜ政府はジェン
ダーフリー施策を推進しているのですか?
A、平成11年に男女共同参画基本法が制定されましたが、実は、この法律
の制定段階からジェンダーフリー論者が深く関与し、政府が目指す男女共同
参画の方向性を捻じ曲げてしまったのです。その中心的人物が大沢真理・東
大教授で、彼女は、男女共同参画を推進する事務局の官僚がジェンダーにつ
いて何も分からないことをいいことに、自分たちの思い通りの答申(平成8
年の男女共同参画ビジョン)を提出することができたと公言しています。
そんな答申に基づいて施策が推進されているわけですから、結果的に政府
がジェンダーフリー施策を推進していると批判されても仕方ありません。こ
の点について福田内閣官房長官は、「男女共同参画社会は、性別にかかわり
なく、その個性と能力を十分に発揮することのできる社会であり、男らしさ
とか女らしさを否定しているものでない」と答弁していますが、官僚政治の
常と言うべきなのか、ジェンダーフリー施策の推進という既定の方針は未だ
に軌道修正されていません。
既に、43の都道府県、166の市町村で男女共同参画に関する条例が制
定されており、その弊害は着実に広がりつつあります。しかし、その一方で、
「男らしさ」や「女らしさ」を否定することなく健全な男女共同参画社会の
実現を目指そうという条例づくりの運動が各地で始められています。
Q、ジェンダーフリーは夫婦別姓とも関係があると聞きましたが?
A、平成8年に男女共同参画審議会が答申した「男女共同参画ビジョン」は、
ジェンダーフリー施策推進の出発点になったわけですが、実は、この答申に
は、配偶者に関わる税制や国民年金・手当ての見直しや性別に関わる各種慣
行の見直しとともに、夫婦別姓制の早期実現が政策課題として挙げられてい
ました。
つまり、ジェンダーフリー論者からすれば、これらはいずれも、彼女たち
の都合のいい社会=社会的地位を得た一部の女性だけが得をする社会の実現
に目障りで不必要ということなのでしょう。現在、配偶者特別控除や年金の
見直しが検討されていますが、これとて「専業主婦は仕事もしていないのに
不公平だ」という彼女たちの主張に添うものですし、夫婦別姓も、「結婚し
て姓を変えるのはほとんどが女性で不公平だ」という主張が始まりです。
彼女たちは、一方で価値観の多様化を主張していますが、行政を利用して
巧みに自分たちの固定観念や一定の価値観を、全ての女性に当てはめようと
しているだけなのです。そこには、彼女たち自身の自己存在をすべて肯定す
るために、社会の常識を、自分たちの常識(?)に無理矢理合わせようとい
う傲慢ささえ感じられます。
ジェンダーフリー政策はまだまだ続く?
平成14年11月12日、福田官房長官は参議院内閣委員会で、「男女共同参画社会は、性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮することができる社会であり、男らしさとか女らしさを否定しているものではない」と答弁した。しかし、それは良識ある国民の批判を一時かわそうとするもので、この答弁をもって政府がジェンダーフリーの政策を放棄したと考えるのは早計である。
と言うものも、本年1月23日に内閣府男女共同参画局が国会議員に提供した「政策研修用資料」を見る限り、従来の方針が変更された形跡が窺われないからである。「男女共同参画に関する基本的な考え方」と題するその資料では、男女共同参画は「男らしさ」、「女らしさ」を否定する考え方ではないかという設問に対して次のような「考え方のポイント」が示されている。
男女共同参画は、個人の内面に関わる「男らしさ」、「女らしさ」や、伝統や文化など否定しようとするものではない。しかし、固定的な「男らしさ」、「女らしさ」の強調が社会的な差別的取扱いを生み出すなど、男女参画社会の形成を阻害する場合には是正、改善されるべきである。
これは一体何を意味しているのか?要は、官房長官が否定するものではないと明言した「男らしさ」、「女らしさ」だと言うのである。
そもそも、政府が個人の内面の問題に関与、介入すべきでないのは当然のことで、個人が「男らしさ」、「女らしさ」をどう思おうと自由のはずである。まして、それ自体、多様性をもった一般社会の世界どこにも見られるごく普通の通念に過ぎない「男らしさ」、「女らしさ」という観念を、日本社会では固定的なものと決め付け、それが男女の社会的差別を生み出している原因だとする政府の見解は甚だしい偏見であり、ジェンダーフリーに毒された異常な見解と言わざるを得ない。ジェンダーフリーが特定の人によって主張される根底には、病的とも言えるほどの「男女の違い」と「社会の現実」に対する怨嗟、異常なほどの敵愾心があり、「男らしさ」、「女らしさ」を否定しない限り自己矛盾に陥ってしまうからなのか、資料には、これ以外にも意味不明の解説が続き、個人の内面に関わる「男らしさ」、「女らしさ」と固定的なそれとの関係や具体事例の説明などは皆無である。そのため、逆にジェンダーフリーの正体が実証的でない空想的で偏った観念=イデオロギーであることを認識させる内容となっているが、良識ある国民にとって唖然とさせられる記述の羅列は、内閣府男女共同参画局がどれほどジェンダーフリー思想に毒されているかを物語ってもいる。ジェンダーフリーという思想的疫病に対する国民理解を促すことが、現時点における最良の処方箋と言えそうだ。
詳細資料はこちら
蔓延するジェンダーフリー
平成11年6月に「男女共同参画社会基本法」が施行されて以来、基本法にはその制定が義務付けられていない条例が、全国の地方公共団体で相次いで制定(制定の状況はこちら)されています。
男女共同参画に関する地方条例は既に40の都道府県、100を超える市区町村で制定されており、その大多数が男女の固定的な性別役割分担を助長、連想させるような表現の禁止や、条例違反に対する苦情処理機関を設けて勧告、指導する規定を盛り込むなど、男女の違いを画一的に排除しようとするジェンダーフリーの思想が色濃く反映されたものになっています。
ジェンダーフリーとは、もともと「性別」を意味する文法用語のジェンダーに「社会的・文化的に形成された性差」という新たな定義を与えて、これにフリー(無)を付したもので、男 らしさや女らしさ、性別役割の通念である「ジェンダー」を解消することこそが男女差別の全面解消につながるという過激なフェミニズム(女権拡張主義)運動から発した思想です。
言い換えればジェンダーフリーは、社会の常識や慣習を支えている性別秩序を崩そうとする運動で、こうした過激な思想を男女共同参画の趣旨と曲解した自治体の施策が社会的混乱や批判を招かないはずはありません。
昨年12月4日には内閣府男女共同参画局が各地方自治体宛に「政府が目指す男女共同参画社会は男らしさ、女らしさを否定せず、また、いわゆるジェンダーフリーを目指すものでもない」ことを文書で徹底しましたが、社会の慣習や伝統を瓦解させようという動きは全国に静かに浸透しており、良識ある国民による監視の強化がより重要となっています。
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