心の教育・女性フォーラム主催シンポジウム『教育とは何か』

平成16年5月8日、名古屋・熱田神宮会館

 

基調講演 「家庭が子どもの脳を育てる」  講師 川島隆太

「心」は前頭前野にあり

今日は脳の話をしにやってきました。脳を育てるということが、実は心を育てるということと同じことなのではないか。そしてその心を育てる、脳を育てるために私たちが一体何ができるのかというメッセージを持ってきました。

これから話すのは、大脳という場所の話です。脳にはいろいろな場所があり、それぞれ全く違う仕事をしています。おでこの側にある「前頭葉」は、体を動かせという命令を出す運動の脳です。頭のてっぺんの「頭頂葉」は触覚の脳です。音を聞くための「側頭葉」という脳や、ものを見るための「後頭葉」という脳もあります。

脳の中で私たち脳科学者が最も注目している場所があります。前頭葉の前側に広がる「前頭前野」という場所です。なぜ注目しているのか。皆様が私たち脳の学者に「人間とはなんぞや」と質問したとします。私たちは、「巨大な発達した前頭前野を持つ動物である」と答えます。実はヒトとその他の動物を分ける1番の違いは、この前頭前野という場所が発達しているかどうかということにあります。前頭前野には、次のような機能があります。

 

【考える】私たち人間は、ものを考えるからこそヒトであります。私たちは脳全体で考えるのではなく、前頭前野を使って考えているということがわかっています。

 

【行動抑制】悪いことをしない、してはいけないという気持ちは前頭前野から湧き起こってきます。小さな子供たちが悪いことをしてしまうのは、前頭前野が未発達で、「しちゃいけない」という命令をきちんと出さないからです。

 

【コミュニケーション】右利きの人の大半は左脳の前頭前野を使って言葉のコミュニケーションを行います。この間に右脳の前頭前野は言葉以外のコミュニケーション、声の調子や顔の表情、ゼスチャーといったものを扱っています。右と左の前頭前野を使うことによって極めて人間らしいコミュニケーションを行うことができるのです。

 

【感情のコントロール】怒りや悲しみ、喜びといった感情は、大脳からは出てきません。大脳の内側に「古い脳」という爬虫類でも持っている脳があります。そこから自然に感情が湧き起こります。大人は感情に身を任せず、理性的に行動することができます。このときに感情を抑え込むのが前頭前野です。

 1つだけ大脳から直接出る感情があります。「笑い」です。笑いは前頭前野が発達した人間にのみ許された行為です。人間以外に笑う動物はいません。チンパンジーが唯一、哺乳期に笑いに近い表情を示すだけです。

他にも「意志決定」や「記憶」も前頭前野が扱っています。こうして見ると、前頭前野に私たちが育てたい「心」があるのではないかと思います。子供たちに「生きる力」をつけるという教育の目標があります。「生きる力」というとまず「自ら考える力」ですが、思考は前頭前野から出てきます。「やる気」は意志発動です。「社会の一員として、他人のために働いて欲しい」。これはコミュニケーションの力がなくてはできません。感情や行動をコントロールする術を持っていなければ社会から爪はじきにされます。私は教育を脳から見ると、前頭前野の働きを高めることにあると考えています。

前頭前野が壊れると何が起こるか、2つの有名な例を紹介します。1つは工事現場監督のゲージさんというアメリカ人の例です。彼は非常に子煩悩な優しい父親で、職場の信望も厚い方でした。現場で爆発事故が起き、金属の棒がゲージさんの左目からささって頭のてっぺんから突き抜け、右脳の前頭前野が壊れました。彼は、些細なことで人に暴力を振るい、子供にも平気で手を上げるような人に変わってしまいました。記録に「彼はもはやゲージではない」という同僚の言葉が残されています。

 そのことから、私たちの性格も前頭前野で決められていて、前頭前野が壊れると、キレやすい人になってしまうということを学びました。

もう1つの例です。1936年にポルトガル人のモニスという脳外科医が「ロボトミー」という手術を提案しました。おでこの両横から小さな孔をあけ、前頭前野の神経細胞から命令を出している神経線維を切ってしまいます。この手術をすると、粗暴で、人を殺してしまうぐらいの勢いで暴れる人が羊のようにおとなしくなる。逆に自殺願望があって目を離すと飛び降りかねないような人は自殺願望をなくします。モニスさんがノーベル賞を受賞したほどの大発見でしたが、この手術はその後世界中で禁止されました。手術をされた人は、どんな家族の中でどう育てられたか、どんな友達がいたかという記憶があるのに、過去の自分と今の自分は全くの別人だと感じ、過去と現在が分断されてしまうんです。

こうして私たちは、前頭前野には心が入っているに違いないと考えました。

私たちの前頭前野の働きは、概ね20歳までかかって最高の状態にたどりつきます。その後、体力の低下と同じように前頭前野の働きは低下していきます。これはどうしようもない事実です。

「読み書き計算」の驚く効果

子供の話に戻りましょう。脳の重さを調べると、誕生時は男女平均で380グラムです。成人は男女平均で1350グラムありますが、4〜5歳段階ですでに1200グラムを超えています。大人の重さの90%にまでこの年代で育っています。脳の成長は体の成長とは全く違うんですね。特に0歳から3歳までの間に9割方育ちます。だから3歳までの家庭のあり方が、どれだけ子供の発達に大事か、学校教育で何かできるのは残りの10%かもしれないということを想像させる怖いデータでもあります。

前頭葉で運動の命令を出す場所の神経細胞は、体の成長と同じように0歳から18歳ぐらいまで比較的まっすぐ育っていきます。頭頂葉、後頭葉、側頭葉の神経細胞も緩やかに18歳ぐらいまで成長を続けます。ところが前頭前野は、3歳までの間に急激に育ちます。3歳から11〜12歳までの間は比較的ゆるやかに育って、思春期を過ぎると再びグッと育つんです。0歳から3歳の時期は、前頭前野という「心の器」が育つ最重要期であることが見えてきます。3歳までの時期に9割以上の脳が出来上がって、しかも最も大事な前頭前野が育つということは忘れないでください。

今の子供たちの脳は健康に育っているのでしょうか。いじめ、不登校、キレやすいといったことが問題として挙げられています。いじめや不登校には、いろいろな原因がありますけれども、共通項は、子供と家庭・学校・地域の間のコミュニケーションの障害だろうと私は考えています。「キレる」とは、些細なことで怒りや悲しみといった感情が起こって、それを押さえることができない、情動や行動をコントロールできない状態です。昔と比べて今の子供たちがキレやすく、コミュニケーションが上手に取れなくて不登校や引きこもりを起こすのであれば、前頭前野の働きが昔と比べると落ちているのではないかと感じます。

そこで私は、前頭前野をどうすれば私たちの手で鍛え上げることができるか見つけ出そうと考えました。

私は、私たちが何かをしている時に脳のどの場所がどう働くかを写真に撮ることができる技術を持っています。脳がたくさん働いている場所は赤や黄色の色をつけて教えてくれます。目を閉じてじっくりとものを考えている時の脳の写真を撮ると、左の脳の前頭前野がごくわずかに働いているだけだということがわかります。私たちの脳は優秀ですから、じっくりと考えるという作業も脳を少し使えばできてしまうのです。これは怖いことです。「考える教育をしよう」といいます。大賛成です。でも考えている子供たちは実は脳はあまり使っていません。脳を鍛えて成長させることと考えるということは実は乖離しています。じっくりと物事を考える習慣があるからぼけないと思いがちですが、考える習慣は実は脳を休ませているようなものですから、そういう人に限ってぼけたりするかもしれないということが見えてきます。

  ではどうすれば脳がたくさん働くのか。主にサルの脳の研究を行ってきた大脳生理学者によって、何かを見たり聞いたりしながら指先を使うと脳が非常によく働くという仮説が15年ほど前に流布され、今でも支持されています。

  そこで私は大学院時代、17〜18年前ですが、テレビゲームほど脳が働くものはないかと考えました。テレビの画面を観て音を聞きながら、それに合わせて手指を動かすものですから、その仮説に合うわけです。そしてテレビゲームをしている時の脳の働きを調べました。

画面を見ていますから、ものを見る後頭葉が右脳も左脳も働いています。「右手を動かせ」という命令は左脳の前頭葉の運動の場所、「左手を動かせ」という命令は右脳の前頭葉の運動の場所から出てきます。ものの形を調べる後頭葉から側頭葉の下側の道が右脳も左脳もしっかり働きます。確かにゲームをすればかなり脳を使うということがわかった訳です。

  私はこの写真をゲーム会社に売れば研究費が貰えると真剣に考えました。このデータを持って行けば私たちは17、8年前から研究費に困らない生活をしていたはずでした。ですが、ずっと困っていました。私が「この写真だけではゲーム会社は面白さが半分しかわからない。もっと面白くしよう。つまらないことをしている時の脳の写真を撮ろう」と余計な一言を言ったからです。学校の勉強は嫌々しているから脳は働かないはずだから、比較すれば、ゲーム会社は「お父さん、お母さん。大きな声では言えませんが、子供さんが学校で嫌々勉強するよりも家でゲームをしたほうが脳にはいいんですよ」というすごい宣伝ができるだろうと考えたわけです(笑い)。そこで、「1+1」「2+3」といった単純な足し算を、嫌がる学生たちに30分続けてやらせて脳の写真を撮りました。

私たちは非常に落胆をしました。心の器であるかもしれない前頭前野、私たちが子供たちの教育で最も伸ばしてあげたい前頭前野は、ゲームしている時は働かず他の場所ばかり働いています。これに対して嫌々単純な計算をしている時は、右脳も左脳も前頭前野が働くという結果が出ました。

私はこの結果を当時は解釈できませんでした。医学の常識では、簡単な計算は左の脳の頭頂葉の一部を使うと考えられていたからです。何かの間違いかなと思い、7〜8年間、このデータは机の奥底にずっとしまってありました。しかし、その後非常に簡単な計算問題で右脳も左脳も前頭前野が盛んに働くのなら、脳のトレーニングに使える、それも子供たちの「生きる力」の育成に役立つと考えました。

私は、難しい問題なら前頭前野はもっと働くに違いないと思いました。そこで学生に「54÷(0.51―0.19)を暗算で解かせると、予想とは反対の結果が出てきました。右脳は使わず、左脳の前頭前野しか使っていませんでした。

計算で子供たちの生きる力を伸ばそうと思った時には、じっくりと考える問題よりも、やさしい問題を解かせたほうが効果的なのです。ゆっくりではなく、できるだけ早く解かせなるとより効果的であることもわかりました。小学校5、6年生に3、4年生の時に習ってスラスラと解くことができる分数や小数の計算問題をやってもらうと、左右の前頭前野が盛んに働きます。「1+1」「2+3」という単純な問題だけではなくて、その子がスラスラと解くことができる計算問題なら、左右の前頭前野を鍛えることができるわけです。計算問題で小学生や中学生の脳を鍛えようと思ったら、復習をたっぷりとさせればいいんです。

ほかにも脳のトレーニングの方法がないか調べました。難しい漢字を本を見ながら覚えようとすると、ものを見る後頭葉が右脳も左脳も働きます。左脳の前頭前野も何カ所か働きます。

これに対して、書きながら覚えようとした時は、右の脳の前頭前野、左の脳の前頭前野もきちんと働きます。つまり、書くという習慣でも私たちは脳を鍛えることができるんです。子供が勉強で何か覚えようとしている時に、本を見て覚えるなら知識を覚えることしかできないけれども、書きながら覚えることによって、同時に前頭前野も鍛えることができるという二重のシステムになっているということがわかりました。

読書はどうか。日本語の本を黙読している時の脳は、ものを見る後頭葉が右脳も左脳も働きます。自分の心の声を耳は聞いていて音を聞く側頭葉も働きます。さらに、前頭前野が右脳も左脳も働きます。さらに脳を活性化するものが、音読です。言葉を口にしながら読むと、右脳も左脳も黙読よりもさらに働きます。

 今、ご家庭で読書の習慣は残っていますか。皆さんが小さい頃、読書は家庭の娯楽の1つで、お父さんやお母さんが本を読んでいれば自分たちも本を読んで過ごすという時間がたくさんあったと思います。ではお子さん、お孫さんたちはどうでしょう。読書をしていますか。本棚が居間にありますか。それがないということで、子供たちをキレるようにしてしまったのかもしれません。

全く意味のない文章を読んでも脳は同じように働きます。子供が本を読む時、意味がわからなくても脳のトレーニングになります。奇異に感じるかもしれませんが、江戸時代の寺子屋を考えるとピンときます。町民の子供たちは弟や妹を背中に背負って漢文の素読を習っていました。「子のたまわく…」。子供たちは意味が分かりながら読んでいたかといえば、わかっていません。しかし、論語は覚えられなくても脳は鍛えられていたんです。私は、こういう文化が日本の津々浦々にあったから、明治の開国に日本は耐えられたのだと本気で思っています。寺子屋文化がなかったら、私たちはスペイン語かポルトガル語を話す民族になってしまっていたのではないかと思います。

 「読み書き計算」という小学校の低学年で繰り返す学習法は、実はたいへんな意義を持っていたわけです。

親子で会話を!

ほかにも、いろいろな活動をしているときの子供の脳活動を測ってみました。テレビゲームをやっている時は、目を閉じて何もしていない時よりも前頭前野は働いていません。ゲームは前頭前野を鍛えるものではなく、休ませるものだということがわかりました。

漫画には字がありますから読書のように前頭前野が働くかと思いましたが、あまり働きません。働かないどころか、右脳の前頭前野の血流がぐっと下がります。ゲームをしている時と同じです。

だからと言って、ゲームや漫画はだめだと思うのは早計です。あれは遊びであり、子供たちは楽しむためにやっていて、遊びはリラックスできる方がいいんですから、ゲームや漫画は疲れた脳を休ませるという面では非常に合目的です。

大人の脳も同じ状態になることがあります。音楽を聴いて、「あぁ、いいなあ」と思った瞬間、右脳の前頭前野の血流がスコーンと下がります。肩をもんでもらっていて、「気持ちいい」と思った瞬間も、同じ血流パターンになります。癒されている時には、こうなるということです。ですから子供たちがゲームや漫画にはまるのは、情報化社会のなかで疲れていて、家庭で癒されるためだと私は感じています。読み書き計算のようなトレーニングとゲームや漫画をバランスよくやらせれば、害にはならないと考えます。

子供が会話をしている時も前頭前野は左右ともに活性化します。最も活性化する相手は家族で、次が友達です。相手との関係が希薄になるにつれて働き具合は減ります。ですから、子供たちにたくさん話しかけてあげることによって、親は子供の「生きる力」を育てることができる。家庭でできる1番の教育は、親子でたくさん話をすることだということが脳科学のデータで見えてきます。

3人以上の集団で遊ぶことによっても前頭前野が働きます。1人、2人遊びではあまり働きません。どんな遊びでも同じで、トランプでも3人以上になると、とたんに前頭前野が働き出します。このことから、子供たちが集団で遊べる環境の重要性がわかります。子供が1人でテレビゲームばかりするようになったら前頭前野を鍛えることができず、キレやすい子供ができるのではないかなと考えざるを得ません。

楽器の演奏も有効で、前頭前野が非常に活性化します。歌は少し特殊です。合唱やカラオケでは前頭前野は休みます。唯一働くのは1人でアカペラで歌うことです。どんどんお風呂の中で歌っていただくといいかなとも思います。

指先をクルクル回すとぼけが防げると言う人がいますが、真っ赤な嘘です。それでは前頭前野は働きません。しかし、何かを作る目的で手指を使うと前頭前野は働きます。料理は前頭前野をたいへん活性化させます。裁縫をしたり、ハサミでものを切ったり、折り紙を折ったり、男性なら盆栽も前頭前野を活性化することができます。子供たちに家事は何もさせないという家庭が多いですけども、休日には父親も引き込んで家族全員で料理をしてください。家族の脳の健康を保てて、一家団欒にもなります。

逆に脳がお休みするものは何か。ゲームやテレビです。音楽を聴くこともそうです。携帯電話やパソコンのメールも脳を休ませます。メディア社会の中で、子供たちが前頭前野を使わない生活になっていることに私は気がつきました。日本の小児科学会は今春、「2歳までは絶対にテレビを観せるな」という方針を出しました。アメリカの小児科医会も昨年、「科学的な根拠はないけれども」という文章つきではありますが、「2歳もしくは3歳までは、子供たちにはテレビを観せるな」と言いました。日米どちらの調査でも、長い時間テレビを観る子は言葉の発達が遅いという結果が出てきています。

 その原因はまず、テレビを観ていると前頭前野が働いていないということ。また、乳幼児は起きている時間は短く、テレビに時間を取られて、親子のコミュニケーションで子供の脳をしっかりと育てられる大切な時間を奪われるからだと思っています。従って、テレビを消す習慣は非常に重要です。夕食時だけでもテレビを消すと、最初は黙って食べることになるかもしれませんが、次第に会話が生まれます。

私たちは、読み書き計算で、いろいろな仮説を立てて実験をしています。その結果、痴呆症の高齢者の痴呆症度が読み書き計算で改善できるということもわかりました。中高年にとっても音読や計算は効果があります。毎日5分間続けると、記憶力は約30%良くなります。1カ月のトレーニングで記憶力が10歳以上若返るというデータをすでに得ています。

家庭における一番の教育とは何かという問いに対する私の結論は、第1に、親子でたくさん話をすることです。

 第2は、読書の習慣を家庭に取り戻すことです。親がテレビを観て笑いながら子供に本を読めといっても、絶対に読みません。自分たちの脳の健康を保つという意識で親が読書する姿を子供に見せること。そして、「あなたたちも読みなさい」と自分の読んだ本を渡す。こんな家庭づくりによって、子供たちからおじいちゃん、おばあちゃんまで家族全員の健康を保つことができます。

 

第二部 パネルディスカッション

             (コーディネーター・参議院議員 有村治子)

母性欠如の子育ての行く末

冨田 私は小児科医として心身症や不登校をはじめとしていろいろな子供を診ておりますけれども、共通して基本的な3つの能力に問題があると感じております。自尊心が乏しい。これは信頼感の問題にもつながります。自分の気持ちを適切に表現できない。対人関係が拙いということです。いずれも、豊かな母子関係を基本にして芽生えるものです。

また、私は、「身体」と「心」の間に「感覚」を入れた「心の健全な発達仮説」をたてています。人間は、物質である肉体に生命が宿った身体が基本で、これは受胎した時に始まります。そして、胎生4〜5カ月にもなると未熟ながら身体内に「感覚」が芽生えます。

赤ちゃんは生れ落ちた直後から、身体の維持や成長に欠かせない食物、母乳を得るために、泣いて空腹感覚を訴えます。そして母親から授乳され、「心地よい情動・情緒」が出現します。母親の乳房を通して伝わる心地よい触覚も重用な役割を果たします。日本語で心を「知情意」と表しますが、「情」である情動が、感覚を土台にして出現してくる。この情の出現が心の芽生えなのです。

同時に赤ちゃんは知的好奇心が旺盛で、あらゆることに興味を示して「知」が生まれます。そこで「知」は「情」の上に乗っていると考えます。そして、成長するにつれ、好奇心を次々と満足させ、「知」を豊かにする方向に「意欲・意思」が働く。「意」が働くことで、心が身体感覚を土台にして「情から知」の方向に向かい、心が成長していくと考えられます。

身体という重要な土台の中に存在する感覚、その上に情が一体化して存在し、それに知が乗ってピラミッドのようになっていることが、安定した健全な心身の発達です。
 ところが心身症の子供の多くは知が勝って、情に乏しい傾向があります。その原因として、乳幼児期の母子関係に由来する感覚体験が乏しいことが多く、心身の発達が逆ピラミッドで不安定になっています。そこで不安定な状態を是正するために、上向きに働くべき「意」が下向きに働き、感覚を増やして安定型のピラミッド型に戻ろうと恒常性、ホメオスターシスが働きます。これが心身症の発症だと考えられます。感覚や情を十分味わう基礎工事を再度行う作業が心身症の状態で、心の安定化を図る必然的なものだとみます。

私はこの仮説を、日本語で心を「知情意」と表現することと、摂食障害の患児を診ながら思いつきましたが、わが国を含む欧米型先進国の子育ての拙さをもわかりやすく表していると考えるようになりました。つまり「快い感覚・情緒」「年齢に相応しい知識」「積極的な意欲・意思・意気」が損なわれるような育児や教育が先進国では行われているのです。
 多くの母親が仕事を持つようになり、乳幼児期の母子関係は少なくとも時間的に乏しくなる現実がありあます。更にフェミニズムイデオロギーが蔓延し、育児の「楽しみ」より「苦しみ」の側面を強調します。この結果、わが子を「可愛い」と思う母性本能は減少し、子供の感覚・情緒の芽生えの機会も減少します。これは被虐待児の多い米国で既に証明され、わが国にも追従する傾向にあります。
 また、現在は「知的育児」「幼児知的教育」なるものが勧められ、「情」よりも「知」が重視されています。意欲的に知を求めるよりも先に親から知を詰め込まれれば、意欲や意思、意気込みなど芽生えません。いわゆる過干渉的育児や「お受験」と呼ばれる幼児教育の弊害です。
 都市化や核家族化が進み、子供は虫取りや泥んこ遊びといった感覚体験で知的好奇心を満足させる機会にめぐまれなくなりました。そして、テレビ・テレビゲーム・インターネットなどの電子機器ばかり与えられています。これらの機器は、触覚や心地よい情緒よりも、ハラハラ、ドキドキという反射的反応や不安や恐怖、時には好ましくない知識や劣情を与え続けます。また、受験を通して「知」ばかりが与えられ、ほとんどの子供が逆ピラミッド状態であるともいえます。
 このように欧米型先進国では、乳幼児期の母子関係が損なわれる傾向が強く、その最先端を行く米国の家庭・子どもの悲劇は目を覆うばかりです。わが国では、母性社会の良い面である初期の母子関係がまだ残されているので、家庭や子供の悲劇はこれでも少ないのです。

ところがフェミニストたちが、「3歳児神話(3歳までは母親が育てることが子供の発達に望ましい)の崩壊」と主張し、残念ながら豊かであった母性性も崩れて行く傾向があります。

 子供が2歳になるまでは、「優しい」「暖かい」「抱きしめる」母性的子育てをたっぷりすることが大切です。2歳を過ぎたら、「厳しい」「客観的」「理性的」父性が関わり、思春期になれば両方が平等に与えられることが大事だと思います。日本は母性が豊かで、そのマイナス作用として、子供に厳しさが教えられてきませんでした。逆に米国などは厳しさが先に来ますから子供の安定感は非常に悪く、子供の凶悪犯罪や児童虐待が多いわけです。

マークス 先ほど、読み書き計算の大切さが科学的にも証明されていることを話されましたが、日本の学校では、「ゆとり教育」「生きる力を育てる教育」の名のもとで、読み書き計算という基礎・基本の徹底を軽視する傾向が10年以上続いてきました。ようやく最近見直されて「百マス計算」なんてものも流行していますが、読み書き計算の学習に便利なドリル帳もほとんど使われなくなっていました。この間に、どれだけ子供たちの学力低下が進んでしまったかは今更説明する必要もないでしょう。伝統的な教育を軽んじたつけだと思います。

2人の先生方の話を聞いて、私は何という素晴らしい教育を受けていたのだろうと感じました。そろそろ古稀に至るのに頑張っていられるのは、かつて受けた教育、というより育てられた環境に因るものが大きいのだと実感いたしました。私が8歳の頃は、「手袋が欲しかったら自分で編みなさい」と言われ、くず毛糸をもらって自分で編みました。薪でご飯を炊けましたし、「ほうとう」という今でこそ山梨県の名物と言われていますが、うどんのでき損ないみたいなものも作れました。8つ年下の妹を背中におぶって、それこそ「アカペラ」で子守唄を歌いながら歩き、友達と遊んでいました。

小学生になると、父親と漢字を書く遊びをしました。サンズイ偏の漢字をどちらがたくさん書けるか競争します。父親よりもたくさん書こうと、一生懸命字を発明して、「こんな字はないよ」「いや絶対ある」なんて言いながら遊んだのを覚えております。そういう遊びしかない時代でした。

山谷 私はかつてサンケイリビング新聞の編集長をやっておりまして、毎日のようにいろいろな主婦の方から育児や介護、教育の問題について手紙をいただきました。私が働き始めた頃は、「家族のために一生を捧げる」のが多くの主婦の生き方でした。その後社会が豊かになるに従って、「自己実現をしたい」「主婦でも女を忘れたくない」という風潮になっていきました。皮肉なことに、それにつれて育児ノイローゼが増えました。子供を初めて公園に連れていく「公園デビュー」で、「お母さんたちとどんな会話をすればいいのか」「どんな服装で行くのか」と悩むお母さんたちもいました。

最近ある地方の市長さんから聞かされたのですが、今の若いお母さんたちは、その時代よりもっと深刻です。「自分を見つめる子供の目が怖い」「どうやって抱いていいかわからない」。だからマニュアル本を作ってくれと頼まれているというんですね。これはやはり、どこかおかしい。

ゼロ歳児の頃にたっぷり抱きしめる、たっぷり笑い合っておしゃべりする、たっぷりとおっぱいをあげる。そんな基本的なことをきちんとやれば、そのあとの子育ては、自分自身が親として育てられるという面も含めてうまく行くんではないかなと思っています。

有村 胎児としての期間も年齢として1年に数える「数え年」という概念は、今まであまりピンと来ませんでした。けれども昨年11月に出産するまでの10ヶ月間、自分のお腹の中に、もう1つの心臓と手足が4本あることを日々感じるという初めての体験をして、数え年という慣習には、受胎した新たな生命に鼓動があり魂もあるということを、しっかりと認識して尊重するという意味があることに気付きました。母子双方の命を気遣い、私たちの生存可能性を高めるための知恵だったのではないでしょうか。                  習慣や風習、伝統というものに対して、面倒だなぁ、堅苦しいなぁと感じたことがないわけではありませんが、いざ母親になってみると、3歳児神話を含め、「おじいちゃんの格言」「おばあちゃんの知恵袋」は、思っていた以上に理にかなって実践的で、参考になる、大切な価値観を教えてくれるものだと勇気付けられています。

  川島先生は4人の父親でもいらっしゃいます。どうすれば父性と母性それぞれの持ち分を高めていけるのか、役割分担をしていけるでしょうか。

川島 自分の親が自分をどう育ててくれたかということが、僕の子育ての原点になっています。僕の父親はたいへん厳格で、父親が家にいる休日が大嫌いでした。部屋の片付けができてないとか、食事のマナーができてないということで手がすぐ飛んできていました。一方、母は、父が行き過ぎた時に僕が逃げる場所になってくれていました。このように、父親はしつけ、とくに叱るという躾をする、母親はかばう、保護するという役割分担をしていました。

この役割分担は、脳科学的に考えても非常にリーズナブルなんです。褒めることで躾ができるかというと、絶対にできません。動物実験をすると明らかですが、怒るということ、叱るということで躾るとネズミでも1度で覚えます。しかし、餌をあげるといったような心地よい情動で何かを覚えさせようするとしても難しい。猿も、叱る教育はしてはいけないんですけども、つい間違って「コラ」と言ってしまうと、ビクっとしてすぐに覚えてしまうということがあります。命にかかわるようなこと、もしくは、社会人になるために絶対に必要な躾には叱る役がいるというのが原理です。

  また心地よい情動のなかで心が育まれるというのも事実です。躾とは違う系統の脳で育まれていきますから、どちらかに偏っていたのでは脳はバランスよく育たないと考えます。

ですから、家庭の中では躾役と褒め役を分業することが大切だと思います。なぜ分業が必要か。どうしても叱る方ばかり、もしくは褒める方だけに行ってしまったりということで、1人の人間が平等に2役をこなすということはなかなか難しいのです。従って、父母の役割というよりも家族の役割として、叱る係、子供を褒め、抱きしめて優しくする係に分かれるのがいいだろうと思っています。

父と母の役割という問題に、あえて私は踏み込みません。本当は母が抱きしめ、父が叱るのが正しい姿だと思っていますけれども、そういう正論だけを吐いていていまの世の中がついてくるかというと、そうではありません。母親だけ、父親だけの家庭はどうするのかと弱点をついてきて、話を全部ひっくり返す、あるいは否定しようとする世の中ですので、家族で役割分担をするということを主張したいと思います。

家族を忘れ、子供を棄てる日本人
有村  適切な役割分担をし、お互いの性差を認めあって特徴を活かしあっていくという意味では、国が目指す男女共同参画社会の理念自体は崇高なことだと私も信じています。しかし残念ながらフェミニストといわれる強硬なグループがあり、この理念が歪曲化されて思想的な運動に使われている面があります。そのことに一早く警鐘を鳴らされてきたのが山谷先生です。

山谷  私が母親になった時、父から、「これでお前、権利が10分の1、義務が10倍になったな。だけどそれが親になるってことの醍醐味だよ。楽しめよ」と言われました。ところが今は、権利は多いほうがいい、義務は少ないほうがいいという風潮になっています。

水戸市では、男女共同参画条例で、家事、育児などを経済評価することを家族の目標にしています。私は仕事をしながら3人の子供たちの弁当を20年間作り続けました。この春、末娘が大学に進んで初めて解放されましたが、寂しさもありました。家族は献身、無償の愛に支えられて成り立つのだと思うのですけれども、フェミニズムの方たちは、まず権利を主張し、献身的行為を金銭で勘定して即物的なものに貶め、夫婦を対立関係、支配・被支配の関係で捉えるような貧しい考えを広めようとしています。

 教育現場では「男女平等教育」という名前のもとで、とんでもないことが行われているということを国会議員時代に知りました。ひな祭りや鯉のぼりが「女らしさや男らしさを押しつける」「階級的だ」と禁止する保育園が出てきたり、男女の区別は差別の始まりだからと5年生の林間学校で男女を一緒に寝かせる小学校が出てきたりしています。浜松市では9校、仙台市では33校の市立小学校で一緒に寝ていました。

 高校では体育の授業の際に、男子と同じ部屋で着替える女子が増えてきています。平気なんですね。恥ずかしさよりも別の部屋に行く面倒臭さが先に立って移動しない。男女の区別がごちゃ混ぜで、女なのか男なのかわからなくなっています。男子トイレの表示を赤、女子のトイレは黒にした東京の小学校もあります(笑い)。こういう教育をしていると、男性は責任逃れでなよなよとしたり、女性は変に荒々しくなったり、あるいは母親であることを損であることのように思ったりと、豊かな人格を育てていくうえで問題だと国会で指摘いたしました。

家庭科の教科書も取り上げました。高校家庭科の教科書で専業主婦がどう書かれているか。「専業主婦として、日中家で子どもと過ごす母親は、生きがいは子どもだけになり、一方で孤独感やいらだちを募らせる。子どもは友達との関係が築けなくなる」(実教出版)「日本は欧米先進国と比較しても、離婚率はあまり高くはない。では日本の夫婦関係は良好かといえば、そうともいえない。離婚後の経済事情を考えれば、結婚生活をつづけざるを得ないケースなどもあるからである」(同)。

子供が読めば、「うちのお母さんは専業主婦で苛立っているから社会性育ってないんだわ」とか、「経済力がないから離婚できないんだわ、かわいそうに」なんて思ってしまうかもしれません。

  今春から使われている教科書は、「近年では生活はともにするが、婚姻届を出さず、事実婚を選択するカップル、離婚をしても新たなパートナーと出会い、再婚をするカップル、同性同士で生活をともにする人たちなど、さまざまな形で、パートナーとの生活を営む人たちもいる」と書いていますが、普通の夫婦の原則は教えません。「祖母は孫を家族と考えていても、孫は祖母を家族と考えない場合もあるだろう。犬や猫のペットを大切な家族の一員と考える人もある」という記述もあります。

家族って命のつながりでしょう。私は両親から大事な命と身体をもらいました。両親は祖父母、祖父母は曽祖父から…と20代さかのぼると、100万人からの先祖がいます。祖母からは、「それだけのご先祖様がお前に命をつなげて幸せになれよと祈っていってるんだよ。そしてお前は女なんだから母親になるかもしれない。自分を大事にして命をつなげるんだよ」と教えられました。学校では、この命の連続性をブッたぎっていくようなことを教えています。家庭科なのか、家庭崩壊科なのかわかりません。

過激な性教育も各地で問題になっています。小学校低学年で、「お父さんとお母さんの性の営みは」と生々しいイラストを使って教えたり、「今日の授業はお父さんとお母さんの大切な秘密なのでおうちに帰ってしゃべらないこと」と言いながらセックスに関するプリントを渡したりと、子供の年齢や発達状況を無視して性の問題を安易に即物的に教えているんですね。欧米でも一時そのような教育がなされましたが失敗し、現在は我慢や節制、モラルを教える教育、人格・道徳教育が主流です。逆に日本では、中学生にピルを勧めたり、コンドームの使い方を覚えさせたりと、とんでもないことが行われていることを知りました。

東京都で調べてもらいましたら、性交人形など、「ここは学校ですか、アダルトショップですか?」と聞きたくなるぐらいとんでもないものがいろいろと出てきました。石原慎太郎知事は議会で、「呆れ果てた。勘違いしている先生が多過ぎる」といわれました。私はそれを小泉首相に届けて、「こんな教育が全国で行われているんです」と質問して、首相はNHKの国会中継が行われているなかで、「見直す必要がある」といわれました。

あれから8か月が経ちましたが、まだ東京と神奈川の一部だけでしか調査ができません。こうした性教育に熱心な先生たちが全国で「教育への不当介入を許すな」という集会を開いているんですね。

性のモラルが崩れると、相手を思い遣る気持ち、自分や他人の命を神聖で価値あるものとして受け止める気持ち、家族をきちんと守っていく責任感がなくなります。これは非常に問題だと思っています。

有村 異論を唱えるというのは勇気がいることですが、信念を持って国会でも発言をされてきた山谷先輩ですから、早く国政に戻ってきていただきたいと思っております。問題を指摘した上で、課題解決型の提案をしていくとすれば、「あの時代は良かったから、過去に戻ろう」とノスタルジーに浸っているばかりではいられません。働く女性が多い現実があるなかで、男性も女性も輝きながら、家庭も大事にしていくコツがあれば教えていただきたいと思います。
冨田 働きながらも、家庭では主婦であり母親であるということを忘れないこと、あるいは家庭では母性をたくさん発揮することが必要だと思います。母性は情緒的で、やさしいことでありますから、社会で仕事をするうえではマイナスになりますので、その切り替えは難しいでしょう。だから、働く女性は家庭でもものすごく頑張らないといけないので、父親は勿論、助けなきゃいけません。残念ながら、かなりの父親があまりこれを積極的に行いません。これは父親の資質をはじめとして種々の要因が働いているのですが、両親が協力して家庭を作り、子育てを男女の特性を発揮して行うという基本的認識が乏しいことに尽きると思います。

川島 本音の話をしましょう。男性が子育てできるか。子育ての手伝いはしてほしい。でも本当に父親が子供に愛情を持って接して育てることができるか。これは多分できないですよ。こういうと男は生物学に逃げていくと批判されますが、やはり人間以外の種族ではオスは種をまいたら、あとはどこかに遊びに行っちゃうんですね(笑い)。他のメスを見つけてまた種をまく。その種を育てるのはメスで、メスが家庭を作って、子供を育てて社会に出す。人間以外のほとんどの動物はそうして子供を作ってきているわけです。人間のオスにも、その本能があるのではないかなとオスとして感じているところはあります。

 しかし、我々は家庭を築くという文明をつくりました。先程説明した前頭前野が本能に抑制をかけ、押さえ込みながら家庭を作っているわけですね。では父親が本当に親になれるのかというと、僕は母親次第かなと強く思います。僕は医者で出産のシーンを何度も見ていますけども、自分の子供が生まれたところに立ち会って、「子供を抱け」といわれた時には震えて抱けませんでした。いくら知識があっても、オスというのは基本的には子供に対して1歩引いてしまうところがあるのかもしれない。

その前提に立って家庭づくりを考えていけば、女性が中心にならないと、旦那も子供もついてこないかということに気がつけば、世の中が幸せになるのかなという思いはあります。自分は好き勝手しているつもりが実は女房の手のひらの上で踊っていたというのが、ある意味男としては1番幸せなんじゃないかな。こんな妄想を抱いております。

有村 生物学的なところと心理的なところ両方のバランスが大事なんだと思います。日本は少子高齢社会に直面をしています。1人の女性が生涯で何人子供を産むかという合計特殊出生率で、基本的に人口を維持していくためには2.06という数値が必要です。日本は、1.3前後を推移しているのが現状です。50年後には日本の人口は半減するという予測も出されています。

私も少子高齢化はなんとか歯止めをかけないといけないと思っている議員の1人ですが、ショックな状況もあります。去年1年間に「おぎゃあ」と産声を上げた子供が115万人います。一方で「おぎゃあ」と言えなかった、流産ではなくて人工的に中絶された赤ちゃんが年間34万人います。

殺さない、殺されない。堕胎しないといけないような状況をつくらない。生命の大事さを伝えていくのも第1歩なのかなということを感じています。

マークス いまの大学生は生きていくうえで必要なものを教わらないできています。例えば箸の使い方を知らない。最近はイギリス人のほうが箸の使い方を知っていて、ご飯やラーメンを食べられるのに、日本の子供たちが箸の使い方を知らない。そして親は、学校の先生に箸の使い方を教えてくださいと頼むんですね。いまの親の世代は、教育はすべて先生がやるものだというふうに考えているのではないかという気がいたします。

年間30万人以上の胎児が消されているということも含め、あまりにも子供を大切にしない社会になっているのではないでしょうか。オスとメスの話が出ました。私は鳥が好きで、よく観察しますが、雛だけを巣に置いてオス、メス両方が飛び立つことはありません。猫や狐に雛がやられることを知っていて、必ずどちらかが残っています。

これに対して、最近の日本では、オス・メス両方が巣から離れ、雛は勝手に社会が育ててくださいと言っているような印象を受けます。「子供は社会の子だ、宝だ」と一時期よく言われました。地域で子育てをしなければいけないとも言われました。いまは「社会の子だから社会が育ててください」というお母さんが増えてきています。

政治家がそれを後押しているように思えます。子供を産んでもらうために多くの保育所をつくる。しかも5〜6時間ではなく、朝7時から夜7時まで、最近はそれでも足りないから午後8〜9時まで、12時間も13時間も子供を預かる保育所です。お母さんは残業したいからそういう保育所を作ってくれと要求して、政治家も物分りがいい顔で次々とつくる。「子供のことを考えたことあるんですか」と言いたくなります。

子供は保育所にいる12時間、13時間で、3度の食事から睡眠まで全部やる。そして、せっかく眠っている子供たちを9時ぐらいに親が連れて帰る。それからの時間で、お母さんと子供の絆が深まるかというと、お母さんは子供を膝に抱きながらも明日の仕事のことで頭がいっぱい。現場の人たちから話を聞きますと、夜中に赤ちゃんのおしめが濡れても、朝、そのまま保育所に連れてくるお母さんが増えている。子供に朝ご飯を食べさせてこないお母さんも増えている。保育所がおむつを換えてくれる、朝ご飯を食べさせてくれると考えているからです。

では、女性がこれだけ働きに出ている現状で何ができるのか。政府が子供の扶養費を出せば、お金のためだけに働いている母親は働きに行かないかもしれない。アパートやマンションで丸1日子供と向かい合って育児ノイローゼになっている母親には、子供を週3回午前中に預かって息抜きができる時間をつくってあげる。こういうことも公的な政策として現実的に必要だと私は思います。

福祉国家といわれるイギリスで、保育料の安い公共保育所を作らないという政府の政策が50年以上続いていることを紹介したいと思います。東京都も江戸川区だけは1歳までの子供は保育所に預けないという制度ですが、イギリスでは3歳までの子供は預からず、母親が育てるベきだという方針を貫いています。

勿論、子供を産んで働き続けていている女性もいます。その場合、「ナニー」と呼ばれる代役を頼みます。住み込みで子供を育ててもらうのです。母親の稼ぎはナニーの給料でほとんど消えてしまいますが、給料が高いのは当たり前で、安く母親の代わりをする保育所を作れと言うほうがおかしいと思います。子育てには、時間も手間もかかるものなんですよ。

 「007」いうスパイ映画がありますけど、イギリスは情報活動に大変秀でています。映画では「M」という女性のボスが出てきますが、公安や情報機関のトップには本当に女性が多いんです。「9・11」、アメリカの同時多発テロのあと、ロンドンのテロ対策本部長に就任したのも女性でした。彼女は40歳そこそこで、10歳以下の子供が3人います。お父さん、つまり彼女の旦那さんが会社を辞めて子育てをしています。やはり巣はカラになっていません。

このまま日本の女性が「自己実現したい」「もっとお金が欲しい、生活のレベルを下げたくない」といって働きに出るのであれば、全ての男性が、「おれたちは全部うちにいて子育てをやる」と宣言したらどうか(笑い)。そんなことも夢見るぐらいです。

伝統的な子育て文化を見直そう
有村 自由民主党内では、0歳児の延長保育や24時間保育には慎重な意見も多くなってきています。看護師さんのように深夜にわたって働いている女性がいますから、夜遅くまで子供を安心して預けることができる保育所が必要だと、私も母親になる前は思っていました。しかしそうすることが、その家族の10年後、20年後を見据えた真のサポートになるのかどうか、正直なところ迷い始めています。子供を預けて働く父親・母親が便利だと感じるサービスと、言葉で充分に意思疎通を図ることができない乳幼児が必要としている環境が、一致するとは限らないからです。子育てを始める最初の数年のうちに、親と子の絆や信頼関係をしっかりと結べるかどうかが、その後数年の親子関係や家庭のあり方に多大な影響を与えるという科学的事実を認識すればこそ、目の前に見える社会現象に対応して、表面的に制度を便利にすることだけが、政治や行政の仕事ではないことを痛感します。保育行政についても、将来の歴史評価に耐えうる価値観・家族観を貫いていこうと、その重要性に言及する同僚議員も多くなってきました。しかも、このような意見が、現在子育て中か子育てを卒業したばかりの若手議員から出てきていることは、興味深いことです。
結びに、私たち日本人の魂、日本の息吹を残していくために大切なこと、私たちの家庭で実践できるヒントを、一言ずつお願いします。

冨田 アメリカではわが国とは桁違いの数の少年凶悪犯罪が多発しています。この現状を最新の脳科学の知見も踏まえ、分析した「育字室からの亡霊」という本が出版されベストセラーになりました。「やさしい子育てをしなかったことがアメリカの悲劇」。これが、この本の結論です。そして、受胎から33カ月間のやさしい子育てが必要だと説いています。アメリカでは妊娠期間を9ヶ月としていますから、33から9を引くと24、つまり2歳です。妊娠から2歳までということになりますから、これは日本の昔、つまり数え年を使っていた頃の諺の「三つ子の魂百まで」とまったく同じことを言っているのです。アメリカが家庭や子供の救いがたい悲劇と最新の脳科学からの知識を重ねて出した結論を、わが国は昔から気づいて指摘していたのです。

私たちは、子供を育て教育していくのに、民族性に根ざした知恵に目を向けることが大切だと思います。パパ・ママと呼ばせ、茶髪・金髪がよいと思うような、アメリカの表面的な真似は、結果的に家庭も子供も不幸にし、国の未来を損ねていきます。国の未来を損ねて子供の幸せは考えられません。

山谷 憲法改正に国民の7割が賛成しています。戦後の宿題がやっと片付けられようとしています。憲法9条についての議論は大事ですけれども、私は同じく大事なことがあると思います。「家族は保護尊重されるベきである」「家族を大切にしよう」。この理念を憲法に入れることで、人々の心も生き方も変わってくると思うのです。占領下で作られた憲法は、国も家族も個人と対立するものであるかのようです。家族が豊かでなければ個人は豊かになれません。家族が豊かであれば個人はもっと豊かに高められて、香り高い人生が送れます。そんな家族をサポートできる社会を実現したいと思います。外国では家族省がある国もあります。年金、社会保障の議論も、社会の基礎単位である家族をどう位置付けるかで違ってくるでしょう。
川島 家庭の教育で今日からできることを1つだけ話したいと思います。それは読書です。たくさんの読書を親がすること、お子さんがすること、家族ですることが第1歩だろうと思います。難しいことを考えなくても、読書の習慣をつけるということからすべてが始まっていく。理想を求めても結局動けなくなってしまうのが私たちの現実ですから、まず身近な1歩から、ぜひ今日から始めてみてください。
マークス  家庭で料理をしてくださいということ。とても大切なことだと思います。
 
シンポジスト紹介
冨田和巳氏 昭和16年(1941年)和歌山県出身。和歌山県立医科大学卒業。大阪大学医学部小児科、吹田市 民病院、大阪府自閉症児施設松心園などを経て、(社)大阪総合医学・教育研究会を設立、副理事長。同附属こども心身医療研究所・診療所長。大阪大学非常勤講師、日本小児心身医学会理事長。著書に『厳しさを忘れた家庭・学校教育』。
マークス寿子氏 昭和11年(1936年)東京都出身。早稲田大学政経学部政治学科卒業。東京都立大学非常勤講師を経て、ロンドン大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス研究員として渡英。エセックス大学現代日本研究所講師として務め、現職。『大人の国イギリスと子どもの国日本』『本当の英語力をつける本』など著書多数。
山谷えり子氏 昭和25年(1950年)東京都出身。聖心女子大学文学部卒業。サンケイリビング新聞編集長、テレビキャスターを経て、平成12年から15年まで衆議院議員。衆議院文教科学委員会理事、拉致議連副会長などを歴任。著書に『人生について、父から学んだこと』『走りつづけて』など著書多数
有村治子氏 昭和45年(1970年)滋賀県出身。アメリカバーモンド州SIT大学院博士課程修了。日本マクドナルド能力開発促進部勤務の後、青山学院大学博士課程で国際経営学を研究。平成13年、参議院議員に初当選(自民党全国区公認候補)。

 

 

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